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2018年8月16日 (木)

余田西城 丹波市

先のブログで余田城を紹介したが、余田城西端の尾根筋に二条の土橋付堀切のある斜面を下ると更に大きく深い空堀状の切通し峠道を挟んで尾根筋向かいへと急登が続く。
余田の城域を分ける鞍部(上鴨坂‐徳尾へ超える切通道?) 
「氷上郡埋蔵文化財分布調査報告書1944年版」分布図には此の切り通し道(上鴨坂と徳尾間の堀切道)までが城域なのだが、此の西の尾根続きの稜上にも一城別郭状?の遺構がある。余田城は標高160m程に在るが、
  第一曲輪から二段の帯曲輪側へ盾土塁(右手)?
余田城の切通し道を越え西に続く 尾根上のCa240m峰に位置する余田西城だが、余田本城の詰め城でもなさそう?。堀切から急斜面を登る尾根の西にも続き山頂付近には岩を自然の切岸に取り込んだ様な曲輪があり、
   第一曲輪(東端)と帯曲輪
其の先には丁寧に削平された広い曲輪が2-3段あって共に土塁が残り尾根西端の土塁は幅も広く 櫓台があったと思える 曲輪の切岸と堀切で城域を終える。平成15年余田城から上鴨坂〜親不知へ縦走の際に見つけた山城遺構(余田西城)の関連・城主等城史不明だが、
 幅広く長い曲輪
竪土塁遺構については天正12年(1584)丹波にも「小牧・長久手の戦い」に呼応した一揆勢力があったこと。篭城拠点が黒井城と余田西城とみられる。其の一揆勢力に赤井時直がいた。天正の乱に没落した赤井家の再興なって幕末まで旗本や大名家の家臣として存続した功労者。
余田城の篭城戦や天正12年の赤井(芦田)時直の籠城・時直等の一揆に加勢した農民等の駐屯場所ともなった様で、籠城等に備えた軍需品・食糧等の供給・補充や兵の駐屯・支城砦群等後方への連絡道確保等々…兵站(へいたん)機能・任務を負った施設であったと考えられます。
 地図があれば便利とブログ記事に貼付してきた「ウエブりマップ」ですが、Google Map利用が有料となり、過去の貼付地図さえ表示されなく?なってしまった様?で残念です 

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